第12章 中国の緑化政策と水資源問題の葛藤
12.1 はじめに
12.2 森林がある気候とない気候
12.3 黄河−乾燥・半乾燥地の大河川の苦悩−
12.3.1 黄河流域の分布
12.3.2 黄河流域に浮上した渇水問題
12.4 中国における森林政策
12.5 乾燥地・半乾燥地の環境と植生の生活
12.5.1 黄土高原における森林の分布
12.5.2 乾燥地域の環境と植生
12.5.3 半乾燥・半湿潤地域の環境と植生
12.6 まとめ
第12章 中国の緑化政策と水資源問題の葛藤
12.1 はじめに
私達がふだん何気なく接している森や河川を取り巻く水環境は日本特有のものであり,世界から見るとかなり稀な存在である.
まず,森を取り巻く環境についてみてみよう.『緑の列島』とも呼ばれる日本は,温暖多雨であり,ほぼ全域において森林が極相植生(climax vegetation)となっている.先進工業国ではあるが,森林が国土の約68%を占めているため,日本では至るところで森林と接することができる.しかし,世界の陸地の約1/3は乾燥・半乾燥地であり,森林と接点を持つことが難しい国は少なくない.例えば中国の場合,1995年現在,国土に占める森林の割合は約16.55% で,半湿潤〜半乾燥〜乾燥気候の黄土高原では森林面積率 は約7.2%に過ぎない(表12.1).
--- 表12.1 世界の森林資源(1995年) ---
河川環境についてみると,日本の河川は急峻で短いという特徴が挙げられる.明治時代のオランダの御雇技術者デレーケが日本の川(富山県の常願寺川)をみて「これは滝である」と評したことから分かるように,日本最長の信濃川でさえ全長367kmであり,全長数千kmにおよぶ世界の河川と比較すると著しく短く急峻である.したがって,日本では河川の上・中・下流域の住民の利害関係は直接的であり,長く激しい闘争・論争を経て,流域住民の間に「相互のバランスを配慮した土地利用・河川管理が必要である」という認識が醸成されてきた.一方,長大な河川の場合,上・中・下流域の利害関係は間接的で時間的遅れが大きいため,未だに闘争や論争が続いていることが多い.例えば,中央アジアではアムダリア河・シルダリア河の流量が減少し,アラル海の縮小が続いている.中国では1970年代から黄河下流に水が届かない断流が頻繁に発生しており,その主な原因として上・中流域における多量の農業・工業用水の使用や緑化の進展が挙げられている.このように,長大河川においては,上・中流域の開発や土地利用変化が下流域に予期せぬ影響を及ぼすことがあり,自然科学的にも社会科学的にも解決が難しい事態が数多く発生している.
そこで,本章では,気候と流域規模において日本の河川とは対極にある中国の黄河流域を対象として,湿潤〜乾燥〜半乾燥〜半湿潤地を縦断する長大河川流域における緑化政策と水資源問題の葛藤について検討する.
12.2 森林がある気候とない気候
植物の成長は,日射量と水の供給のバランスによってほぼ決定される。ある地域の水分収支を表す指標として,Budykoは放射乾燥度RDIを考案した。これは,降水量をすべて蒸発させるのに必要なエネルギーと,純放射量との比によって表される.
(12.1)
ここに,Rnは純放射量, lは水の蒸発潜熱,Pは降水量である.純放射量Rnは地表面における正味の放射量であり,次式で表される.
(12.2)
ここに,Stは全天日射量,Srは反射日射量,Laは大気からの下向き長波放射量,Lgは地表からの上向き長波放射量である.
ある場所のRDIが1より大きいということは,降水量をすべて蒸発させてしまうエネルギーを上回るエネルギーが太陽から供給されるという乾燥条件下にあることを示しており,植物は水を節約して使うことが重要となる.RDIが1より小さいということは,太陽からのエネルギーをすべて蒸発に使ってもまだ蒸発しきれない降水が残るので,植物にとっては水不足になりにくい湿潤な環境にあることを示している.
図12.1に,放射乾燥度と純放射量による植生区分を示す.森林が存在するのは,RDI≦1.1の地域である.森林が優占するのはRDI=0.3〜1.1の地域である.この領域を下回るとツンドラとなり,この領域を上回るとステップ,半砂漠,砂漠へと移行していく.なお,森林は純放射量の少ない順に針葉樹林,落葉広葉樹林,常緑広葉樹林,熱帯雨林に区分される.
--- 図12.1 放射乾燥度RDI,純放射量Rnによる植生区分(Seino et al.に加筆) ---
日本の場合,P=800〜4,000mm y-1(全国平均:約1800mm y-1),Rn=1.5〜3.0GJ m-2 y-1で,RDI≦1.0の範囲にあり,ほとんどの範囲が森林帯に属している(内嶋ら,1987).一方,黄河流域の中流に位置する黄土高原は,P=200〜650mm y-1,Rn=2.0〜2.5 GJ m-2 y-1,RDI=1.2〜7.0の半湿潤〜乾燥地である.したがって,植生分布は,森林から森林草原,草原,半砂漠漠,砂漠に至るまで多様である.
日本では雨の少ない地域でも年降水量は1,000 mm y-1程度あるため,降水量が植生分布の制限因子にはなりにくい.したがって,植生区分は暖かさの指数WI(吉良,1948)と呼ばれる積算気温とよく一致し,降水量はあまり影響しない。
(12.3)
ここに,Tは月平均気温(℃)で,添え字T≧5℃は平均気温が5℃以上の月を示す.暖かさの指数は,植物の生育可能温度を5℃以上とみなし,それ以上の温度と時間の積算値が大きく影響しているという考え方に基づいている.湿潤地における暖かさの指数と植生区分の関係は,湿潤ツンドラ(WI=0〜15),常緑針葉樹林(WI=15〜45),落葉広葉樹林(WI=45〜85),常緑広葉樹林(WI=85〜180),亜熱帯多雨林(WI=180〜240),熱帯雨林(WI=240〜)とされている.日本の場合,WI=40〜220の範囲にあり,寒冷な亜寒帯常緑針葉樹から温暖な亜熱帯雨林に至る多様な森林が存在している(図12.2).気温は緯度および標高が高いほど低くなるので,日本の森林構成は緯度および標高によって変化している.
--- 図12.2 日本における暖かさの指数と植生区分 (・・に加筆)---
一方,多様な気候を有する中国では,一般に気温と降水量を変数とした中国科学院の乾燥度Kaが植生区分に用いられている(周ら, 1959).
(12.4)
ここに,PETは可能蒸発散量(mm),Pは日降水量(mm),Tは日平均気温(℃)であり,添え字T≧10℃は日平均気温が10℃以上の日を示す.図12.3に示すように,黄土高原では,植生区分は降水量に対応している.森林は,南西〜北東に延びる森林限界年降水量線(450mm y-1)より南東に存在し,南東に向かって森林草原地帯と森林帯が帯状に分布している.森林草原地帯は,半湿潤〜半乾燥気候で,標高1000〜1,600m,P=450〜550mm y-1,Ka=1.4〜1.8である.森林地帯は,暖温帯半湿潤気候で,標高800〜2,200m,P=500〜650mm y-1,Ka=1.3〜1.5である.
このように,日本のような湿潤地域では植生区分は純放射量あるいは気温によって決まるが,黄土高原のような半湿潤・半乾燥・乾燥地域では植生区分はほぼ降水量によって決まる.
--- 図12.3 中国黄土高原における年降水量と植生区分(程ら,2002に加筆) ---
コメント
世界の植生を区分するために様々な気候指数が提案されているが,いずれも本質的には降水量と可能蒸発散量の比を表している.可能蒸発散量は放射量とほぼ線形の関係にあり(Priestley and Taylor, 1972),また積算温度は純放射量とほぼ線形の関係を有していることから(Budyko,1971),気候指数の評価に用いられる気温や放射量は間接的に可能蒸発散量を表していると考えることができる(大槻ら,1998).ちなみに,乾燥度Kaは放射乾燥度RDIと線形関係にあり,KaはRDIの約50%である.
12.3 黄河 −乾燥・半乾燥地を貫流する大河川の−
黄河は青海省巴顔喀拉山の北麓に端を発し,青海,四川,甘粛,寧夏,内蒙古,山西,陝西,河南,山東の9省を貫流して渤海に注ぐ流路長5,464km,流域面積752,443km2の大河川で,その規模は中国第2位,世界第10位である(図12.4).黄河は,豊かな水と肥沃な黄土を流域にもたらし,紀元前5,000年頃から農耕が始まる素地を与え,中国の文明を育んできた.一方,「水を治める者は天下を治める」という諺が示すように,黄河は時代を問わず様々な形で災害をもたらし,流域住民に治水の試練を与え続けてきた.紀元前600年から数えると,黄河では1,600回の大規模堤防決壊と,26回の大きな流路変更が記録されている(Giordano et al., 2004).すなわち,黄河では3年に2回は大規模な堤防決壊があり,100年に1回は流路が大きく変更されてきた.
---図12.4 黄河流域の上・中・下流域分布(Giordano et al., 2004)---
中国政府はこのような甚大な黄河の洪水災害対策に取り組み,大規模な堤防決壊を抑止するなど,治水には一定の成果を治めてきた.しかし,近年,水不足が深刻になり,黄河の主要な水管理問題は治水から利水へと変容しつつある.端的に言えば,黄河の水管理問題は,「黄河が住民に与える害を防ぐ」ことから,「住民が黄河に与える害を防ぐ」ことへと変貌している.
12.3.1 黄河流域の分布
黄河流域は,上・中・下流域でその在り方が大きく変化する.
上流域 青海省巴顔喀拉山から内蒙古自治区包頭市下流に位置する河口?量水所までの流域で,全流域面積の約54%,全流量の約60%を占めている.蘭州市以西の源流域は湿度が高く,蒸発散量が少ないため,流出率は30〜50%と高く,蘭州量水所において上流域全流量の56%を集水している.しかし,蘭州から乾燥地の寧夏自治区,内蒙古自治区を通過する間に,多量の河川水が蒸発するとともに,流域で展開されている灌漑農業と急速に発展しつつある工業によって多量の水が取水されている.したがって,この区間で黄河の流量はかなり減少する(図12.5).
中流域 河口?量水所から河南省鄭州市近傍の花園口量水所までの流域で,渭河,汾河等の大きな支流を有し,全流域面積の約43%,全流量の約40%を占めている.中流域に位置する黄土高原では,過度に進んだ森林破壊と,無理な農耕に起因する大規模な水土流出が頻発しているため,この区間で黄河に多量の黄土が混入される.現在,黄河に流入する土砂の90%は黄土高原の土壌侵食に端を発するといわれている.黄土高原の水土流失地域は45.4万km2あり,黄土高原総面積64.2万km2の約71%を占めている.
下流域 花園口量水所から渤海河口に至る流域で,全流域面積の3%程度である.中流域で黄河に含まれた多量の黄土は,下流域のデルタに堆積するため,黄河下流域では大規模な流路変更が古来より頻発してきた.近年,技術革新によって堤防が安定し,流路変更が抑止されたが,一方で黄土の堆積が進み,10mを超える天井河床が散在している.また,1972年以降,黄河の水が下流に届かない断流がほとんど毎年発生している(1972〜1998年の27年間のうち21年間,計1,050日間).
---図12.5 黄河の流量変化(Giordano et al., 2004)---
12.3.2 黄河流域において浮上した断流問題
図12.5に示すように,黄河の流量は1970年代から減少し,特に1990年代には著しく減少している.1990年代の流量平均値は,1956年〜2000年の平均値より約24%少なくなっている(表12.2).その結果,黄河では1972年以降黄河の水が黄海まで到達しない断流が頻発している(図12.6).特に,1990年代から断流日数,断流距離が急増し,1997年には,226日間の断流日数が記録され,断流距離も704kmにも及んでいる.2000年〜2004年に黄河断流は発生していないが,予断を許さない状態が続いている.
---表12.2 黄河流域における降水量と流量の推移(Giordano et al., 2004)---
---図12.6 黄河断流の推移---
黄河断流の影響は著しい.まず,下流域において用水が確保できなくなり,農業・工業・生活用水が大幅に制限されるようになった.また,水環境容量が減少した結果,水質汚染が進行するとともに,河口地域の生態系が壊滅的な打撃を受け,生物多様性が著しく損なわれつつある.さらに,断流の影響で,黄河下流域では土砂の堆積が堤外地に集中し,現在80%以上の土砂が主河道に堆積している.その結果,主河道の河床が上昇し,新たな形で洪水の危険性が増大している.
黄河断流は自然と人為の要因が重なって発生したと言われている.自然的要因としては,降水量の減少が筆頭に挙げられている.しかし,1990年代の降水量より少なかった1920〜1930年には断流は発生しておらず,黄河断流は主として人為的な影響によるとされている.
黄河断流の人為的な要因として最も影響の大きいのは用水量の急増である(Ren et al., 2002).1988〜1992年から1998〜2000年の約10年間の間に,黄河流域の用水量は30.72×109m3year-1から37.24×109m3 year-1まで約21%増加している(図12.7).用水量の大半は農業用水で占められており,1988〜1992年には農業用水が約92%を占めている.農業用水量は1998〜2000年の約10年間に約12%増加しているが,全体に占める割合は約85%に減少し,工業用水,農村生活用水の比率が急増している.さらに,近年,環境用水に対する需要も高まっている.黄河水利委員会は,黄河に溜まった黄土を海に排出させるために約14×109m3 year-1の用水量と,約5×109m3 year-1の維持用水量を合わせた計約20×109m3 year-1の環境用水が必要であるとしている.しかし,その量は1990年代の用水量の約半分に相当するため,現状ではこれだけの環境用水を確保するのは不可能に近い.
--- 図12.7 黄河流域における用水量(Giordano et al., 2004) ---
12.4 中国における森林政策
中国の森林保護の歴史は非常に古い.環境保護の黄金時代と称される紀元前の周の時代には,世界で最初に「山林局」が設置され,森林保護の必要性が重視された.しかし,その後,様々な森林保護政策が繰り出されたにもかかわらず,周朝滅亡後は実質的には森林破壊が進行した.黄土高原の森林面積率は紀元前800年の西周時代には約53%であったが,その後徐々に減少し,1949年の中華人民共和国建国時には6.2%にまで減少し(表12.3),大躍進期(1958〜1960年頃),文化大革命期(1966〜1970年代後半)にはさらに減少したといわれている(Liu and Ni, 2002;中国環境研究会,2004).ただし,中華人民共和国は建国当初から緑化政策を重視し続け,それは森林破壊が加速した大躍進期,文化大革命期においても変わらなかった.
---表12.3 黄土高原の森林面積率の変遷---
1970年代以降,様々な環境政策[森林法(1984年制定,1998年改正),環境保護法(1989年制定),水土保持法(1991年制定)等]が制定される中で,森林保護や緑化はいずれの政策においても重要課題の一つとして推進されてきている(芦,2003;王,2003;樊,2003).また,中国政府は,中国東西の経済格差を是正するため,2000年から西部大開発を国家重要政策課題の一つとして取り組み,その中で森林保護を大きく打ち出している.このような森林保護・緑化政策によって,森林面積は徐々に増加し,黄土高原の森林面積率は1949年の約6.2%から1998年の約7.2%へと増加傾向にある.
なお,1950〜1960年代の森林保護・緑化政策が自然災害の防止(水土流出防止,水源涵養,砂防等)によって生産活動や住民生活を安定させることが目的であったのに対し,1970年以降は従来の緑化政策を踏襲しつつも生態系保全を重視する政策に転換しつつある.1998年の長江・松花江の大洪水が契機となり,中国の森林保護・緑化政策はさらに本格化した.1998年には全国生態環境建設計画が公布され,全国の森林面積率を1998年現在の16.6%から,2010年までに19%以上,2030年までに24%以上,2050年までに26%以上にする計画が立てられた(表12.4).
林業行政においても,環境関連の政策が強化され,2001年に統合・開始された国家6大林業重点事業では,環境関連の天然林資源保護事業と退耕還林事業が双璧となっている.天然林資源保護事業は,天然林を回復・拡大させることを目的とした事業で,2000年〜2010年の間に6,120万haの天然林を保護するとともに,新たに867万haを造林する計画である.退耕還林とは,傾斜25°以上の農地を森林や草地に転換する施策である.退耕還林事業は,退耕還林および植林に適した荒山荒地への造林によって水土流出問題の解決しようとする事業で,2001年〜2005年に退耕還林677万ha,荒山荒地造林867万ha,2006年〜2010年に退耕還林800万ha,荒山荒地造林867万haを計画している.
--- 表12.4 中国全国の森林資源の推移および建設計画 ---
中国における造林面積の推移を図12.8に示す.2003年の全国の造林面積は911.9万haで,その約90.6% は6大林業重点事業で造林されている(天然林資源保護造林:68.8万ha,退耕還林:341.8万ha,荒山荒地造林342.3万ha).退耕還林事業による2003年までの累積造林面積(試行期の1999年〜2000年を含む)は1332.6万ha(退耕還林:643.7万ha,荒山荒地造林:688.9万ha)に達している.中国の人工林面積は2003年現在5,300万haで,既に人工林面積世界第一位の地位を占めているが,現在進められている緑化政策によってさらに広大な面積が森林に転換されることになっている.
---図12.8 中国における近年の造林面積の推移(中国国家林業局資料より作成)---
12.5 乾燥地・半乾燥地の環境と植生の生活
中国では,このように大々的な緑化政策が打ち出され,植林事業も着実に進行している。実際,近年,地域・地球規模で環境悪化が深刻化する中で,樹木や森林が環境修復・環境保全に果たす役割が期待されている.砂漠化問題に対しては,国家事業からボランティア活動まで様々なレベルで砂漠緑化対策が取られており,至るところで植林が推進されている.しかし,樹木は水を蒸散して光合成を行う生物であり,生存するにはそれなりの条件が必要である.ここでは,森林から砂漠に至る気候を有する黄土高原の森林を事例として,乾燥地・半乾燥地の環境と植生の関係について概観する.
12.5.1 黄土高原における森林の分布
黄土高原は,黄河流域の上・中流域(北緯33? 43'〜41? 16',東経100? 54'〜114? 33')で標高1,000〜2,000mの土地が約70%を占める総面積6420万haの高原で,年降水量は200〜650mm year-1,年平均気温は4〜14℃である.図12.9は森林草原地帯にある延安市の降水量,気温,飽差の年変化を示したものである.降水量の約79%は5〜9月の雨で占められている.雨期と蒸発散の盛んな多照高温期が一致している点では植物の生育に適しているが,冬から春にかけて降水が少ないため,春先に乾燥被害を受けやすいという点で植物にとって厳しい環境でもある.
--- 図12.9 中国黄土高原森林草原地帯(延安市)における降水量,気温,飽差 ---
図12.3に示したように,黄土高原では南東から北西に向かって植生は徐々に減少し,植生区分は森林地帯,森林草原地帯,典型草原地帯,荒漠草原地帯,草原化荒漠地帯の順に帯状に分布しており,森林地帯,森林草原地帯が黄土高原のほぼ半分を占めている.しかし,黄土高原の林用地面積が占める割合は約28.8%,森林面積率はさらに少なく約7.2%で,灌木を含めた森林面積率でも約11.1%に過ぎない(程ら,2002;?ら,2002).黄土高原の森林の約75%は天然林,約25%が人工林であるが,黄土高原の約44%を占める水土流出区では人工林が約40%を占めている.
森林地帯および森林草原地帯の森林は主として落葉広葉樹(ナラ属(Quercus),ポプラ属(Poplus),カバノキ属(Betula),ニレ属(Ulmus),シナノキ属(Tilia),カエデ属(Acer))によって構成されており,場所によっては針葉樹(油松(アブラマツ,Pinus tabulaeformis),?山松(タカネゴヨウ,Pinus armandii),落叶松(カラマツ,Larix principis-rupprechtii)等)と混交している.主な人工林樹種は刺槐 (ニセアカシア,Robinia pseudoacacia),ヤナギ属(Poplus)で,他に油松,?柏(コノテガシワ,Platycladus orientalis),等もみられる.ニセアカシアは荒山造林先駆樹種として大規模に造林されている.灌木の種類も多く,沙棘(スナジグミ,Hippophae rhamnoides),?条(Caragana korshinskii),文冠果(Xhanthoceras sorbifolia),二色胡枝子(ヤマハギ,Lespedeza bicolor),灰?子(Contoneaster acutifolias),蒙古??菊(Spiraea mongolica),虎榛子(Ostryopsis davidiana),山桃(ノモモ,Prunus davidiana)等が分布している.
12.5.2 乾燥地域の環境と植生
ここでは,荒漠草原地帯に区分される寧夏回族自治区沙坡頭(シャポトウ)における長期生態研究の成果を基に,年降水量200mm前後の乾燥地の環境と植生について概観する.沙坡頭は,黄河上流域の高格里(トンゴリ)砂漠東南端に位置する標高1339mの砂丘地である.沙坡頭の月平均気温は,最低月が1月で-6.9℃,最高月が7月で24.3℃で,地温は74℃近くまで上昇する.年平均降水量は186mm year-1,年可能蒸発散量は2,900mmである(Li et al., 2003).
沙坡頭では,包頭と蘭州を結ぶ包蘭鉄道を風害から守るため,1950年代から緑化による流砂固定工事が行われた.緑化工法としては,麦藁を砂丘に差し込み,高さ10〜30cmの低い柵を1m×1mの格子状に設置していく麦草方格(straw checkerboard)と呼ばれる工法が採用された.この柵によって砂丘表面の風速を減速させ,砂の移動を抑え,格子内に固砂植物と呼ばれる灌木や草本を育てていくというものである.なお,麦草方格設置後は,方格内に乾生灌木が植栽されている.
沙坡頭で1956年から継続されている長期生態研究によれば,灌木類は植栽後急成長し,9年後に植被率30.2%,乾物重39.7kg/100m2に達したが,その後約5年間で植被率9.1%,乾物重18.2 kg/100m2にまで急減している(図12.10).その後の灌木類の減少は緩やかで,45年後には植被率は6.6%,乾物重は17.1kg/100m2となっている.一方,草本類は麦草方格設置時に植栽されていないが,徐々に増加し,45年後には植被率20.1%,乾物重7.6kg /100m2に達している.
-- 図12.10 沙坡頭における土壌水分および植生の変化(Li et al.のデータから作成)---
0〜40cm層の土壌水分は植被の有無に関わらず降水量に対応した変化を示す.一方,40〜300cm層の土壌水分は灌木植栽後約10年間の間にほぼ全層で約3%から約1%にまで減少し,その後は降水量にかかわらず約1.0%の乾燥した状態を保っている.灌木類は約10年間順調に生長したが,要求水分量が増加するのに対して土壌水分が減少したため,土壌水分約1%で生育できる範囲まで淘汰されたと考えられる.
乾燥地でも比較的樹高の高い森林が存在することがある.ただし,そのような場所は,オアシス近辺,河川・用水路沿い,谷地等の水が集まりやすい場所や,灌漑が施されて水が十分に供給されている場所に限定される.砂漠緑化と銘打った植林事業が少なくないが,年間降水量200mm程度の乾燥地の天水条件下では,灌木さえも生存が厳しいことを認識する必要がある.
12.5.3 半乾燥・半湿潤地域の環境と植生
中国で植林事業が積極的に行われているのは,水土流出が深刻な半乾燥・半湿潤地域である.これらの地域では,樹木は若木の時には比較的良く育つものの,生長に伴い水要求に見合う水分を吸水できないため生長が滞ることが多い(姜等, 2004).すなわち,湿潤な年には生長するが,乾燥年には水ストレスを受けて枯れ下がり,幹だけが太ることになる(小老樹あるいは小老頭樹と呼ばれている).王(2001),?ら(2004)は,従来適用されてきた造林植栽密度は過密であるため,水が不足し樹木の生長が抑制される傾向にあること,そのような人工林では間伐等によって水分利用量を調整する必要があることを報告している.
このように,半乾燥・半湿潤地域では水の獲得は樹木にとって死活問題である.したがって,中国の半乾燥・半湿潤地域では,植林による水土流出防止効果が期待される一方で,樹木の水消費による水源涵養機能の低下が懸念されている(候, 2000;李,2001;王, 2001; ?ら, 2004).このため,流出量,土壌水分量,蒸散量,光合成量などの測定に基づいて,水源保護に適した樹種に関する研究(?ら, 2004;?ら,2004),集水に適した造林方法に関する研究(王, 2001;田ら,2003)が広く行われるようになった.
表12.5に中国の半乾燥〜半湿潤地域における流域年水収支,図12.11に世界の流域試験地の年降水量と年蒸発散量の関係を示した.これらの図表が示すように,一般に半乾燥〜半湿潤地域の森林流域では降水量の大半が蒸発散量として消費されるため,流出量は極めて少ないことが認識されるようになった(?, 2002).また,半乾燥・半湿潤地域では,森林,農地,草地の土壌中に乾燥層が形成されることが明らかになり,森林の土壌水分は裸地,農地,草地と比較すると少ないことが認識されるようになった(?ら,2000;田ら,2003;唐ら,2004).したがって,水土流出抑制機能を発揮させつつ,水源涵養を損なわない森林管理が模索されている.
--- 図12.11 世界の森林・草地流域の年降水量と年蒸発散量の関係 ---
--- 表12.5 中国における流域水収支の測定例 ---
このような状況下,荒廃地の緑化樹として黄土高原をはじめ中国で広く造林されているニセアカシアが環境に及ぼす影響が問題となっている.ニセアカシアは北アメリカ東部原産の落葉広葉樹で,1600年に庭園緑化木としてフランスとイギリスに導入され,ヨーロッパ全土に普及した.ニセアカシアは年降水量1000〜1500mmの比較的湿潤な気候区の原産であるにもかかわらず乾燥に強く,窒素固定機能があるため栄養分の乏しい荒廃地でも生育可能である.さらに,ニセアカシアは初期生長が早く,3〜5年間で地表を樹冠で覆うことから,18世紀以降世界各地で荒廃地緑化樹として造林されるようになった.ニセアカシアはアグロフォレストリーにも広く導入されており,現在ではユーカリ、ポプラに次ぐ植林樹種として世界で3番目に普及している.
ニセアカシアが中国に導入されたのは1898年であり,その後,外来樹種として最も広く造林されている.ニセアカシアは早生樹の特徴を発揮し,中国において水土流出抑制に大いに貢献してきた(候, 2004).ただし,ニセアカシアは20〜25年程度は順調に育つものの,その後生長が滞り,小老樹化する傾向にある(?,2003).また,ニセアカシアは光を好み,強光条件下でも光合成・蒸散があまり抑制されないため(王, 2001; ?, 2004),土壌水分の消費が激しく(?ら,2004),図12.2に示すように土壌深層に乾燥層を形成することが報告されている(候, 2000b).ニセアカシアは根萌芽によって分布を広げ,ニセアカシア林には他の樹種が侵入定着することが困難であり,生物多様性に乏しいことも指摘されている(Lee et al., 2004).
-- 図12.12 陝西省公路山における土壌水分プロファイル---
以下,著者らが黄土高原中流域の延安市公路山で行った調査結果 に基づいて,近接するリョウトウナラ天然林(30〜50年生)とニセアカシア人工林(25年生)の環境を比較する.なお,現在,このニセアカシア人工林は管理されておらず,自然状態で保たれている.
リョウトウナラ林は12樹種で構成され,胸高直径1cm以上の樹木の林分密度は2375本/haであった.このうち,リョウトウナラは個体数で約28%,胸高断面積で約54%を占めていた.一方,ニセアカシア林の樹種はわずか2種で,胸高直径1cm以上の樹木の林分密度は3425本/haであった.そのうち,ニセアカシアが個体数・胸高断面積ともに約93%を占めていた(山中ら,2006).リョウトウナラ林の林床植生は主として低木であるのに対し,ニセアカシアの林床植生は1年生の草本類であった.したがって,ニセアカシアの林床の植被率の季節変動・年変動は激しかった.特に前年の冬から当該年の春にかけた降水量が少ない場合,その年のニセアカシア林の下層植生は乏しくなった.リョウトウナラ林の林床はリターで覆われ,腐食層が存在するのに対し,ニセアカシア林の林床にはリターはほとんど堆積せず,裸地化しており,腐食層も存在しなかった.落葉による窒素供給量はニセアカシア林の方が多かったが,土壌中の窒素量はニセアカシア林の方が少なかった.?(2003)もニセアカシアはアブラマツ,スギ,カラマツと比較して土壌への正味の養分供給が少ないことを指摘している.このように,ニセアカシア林は生物多様性に乏しく,下層植生が乏しく,リター層が存在せず,土壌は裸地化し,期待される施肥効果も乏しいことが明らかにされた.
図12.13は,リョウトウナラ林,ニセアカシア林,裸地の浸透能を比較したものである.浸透能は,内径11.5cmの円筒を5cm地中に打ち込んで,3.5cmの水深を維持し,浸透量を1時間測定することによって実施した.測定点はそれぞれ7地点である.いずれの地目でも浸透能は約5〜10分間で急減し,ほぼ最終浸透能に達している.浸透能は,リョウトウナラ林,ニセアカシア林,裸地の順に高いが,最大のリョウトウナラ林でも最終浸透能は60.9mm/hrと低く,日本における林地の平均最終浸透能258.2mm/hrを大きく下回っており,本試験地の浸透能は著しく低いことが明らかにされた(表12.5).裸地の最終浸透能20.8mm/hrは日本における歩道の値12.7mm/hrに近い.ニセアカシア林の最終浸透能37.5mm/hrで,リョウトウナラ林と裸地のほぼ中間的な値を示している.
--- 図12.13 陝西省公路山における浸透能 ---
--- 表12.6 土地被覆条件別の最終浸透能 ---
張ら(2004)は黄土高原東部のニセアカシア林,アブラマツ林,草地,農地において源位置表面流流出実験を行い,ニセアカシア林は下層植生やリター層がほとんどないため,アブラマツ林や草地と比較すると表面流速抑制機能・侵食抑制機能が小さいという結果を得ている.公路山における土壌水分の測定結果によれば,リョウトウナラ林,ニセアカシア林のいずれも表層5cmの土壌水分は降雨に対応して急増するが,ニセアカシア林の場合,土壌深度が深くなるに従って降雨に対する土壌水分の反応が鈍くなった.これらのことから,ニセアカシア林では,降雨がリター層に遮られることなく直接土壌面に到達することや,降雨強度が浸透能を上回る可能性が高いことから,表面流出が発生しやすいと考えられる.なお,公路山のニセアカシア林では,リターや雑草が肥料・飼料として人為的に利用されていないが,ニセアカシアの落葉の分解速度が速く,林床面の風速が強いことなどから自然発生的に林床が裸地化しているようであった.
リョウトウナラ林,ニセアカシア林,裸地の硬度(山中式)は,それぞれ6.4mm,13.0mm,20.8mmであった.リョウトウナラ林の硬度が小さいのはリター層・腐植層が存在するため緻密度が低いこと,裸地の硬度が大きいのはクラストが形成され緻密度が高いこと(北海道十勝地方では山中式硬度計20mmが耕盤の指標とされている)によると考えられる.浸透能と硬度は高い負の相関関係(決定係数0.9787)を有し,黄土高原では表層の緻密度が浸透能に大きな影響を及ぼすことが推察された.
アルベドおよび日射透過率の変化から,リョウトウナラ林では4月中旬から約2週間で一気に開葉しているのに対し,ニセアカシア林では4月中旬ころから約5週間かけて開葉していることが推察された.これより,リョウトウナラ林では乾燥害が懸念される春先にすばやく樹冠を閉じ,林床への強光の到達を妨げているが,ニセアカシア林では開葉が遅いため春先に林床に強光が到達し,林床の加熱,乾燥を抑制できない可能性が高いことが推察された.
図12.14にリョウトウナラ林およびニセアカシア林の最高地表面温度の年変化を示す.図より,樹冠が閉じる5月から8月まではリョウトウナラ林とニセアカシア林の最高地表面温度はほぼ等しいが,秋から翌年の春にかけてはニセアカシア林の最高地表面温度はリョウトウナラ林より高くなることが分かる.特に2003年のニセアカシア林の最高地表面温度は極めて高く,しばしば40℃を上回り,50℃を上回る日もあった.一方,2004年の両者の差は比較的小さく,リョウトウナラ林の最高地表面温度がニセアカシア林の値を上回っている日もあった.2003年と2004年では,ニセアカシア林の下層植生に大きな差が見られた.ニセアカシアの林床は,2003年には下層植生が乏しく,ほぼ裸地状態を呈していたのに対し,2004年には草本類が繁茂していたことから,この下層植生の変化がニセアカシア林の地温に大きな影響を与えたと考えられる.
図12.14 遼東ナラ林とニセアカシア林における最高地表温度の季節変化(延安市公路山)
図12.15に深さ10cmの最高地温の推移を示す.最高地温は,裸地およびニセアカシア林では2月下旬には0℃を上回っているが,リョウトウナラ林では0℃を上回るのは3月下旬に入ってからである.裸地では,季節を問わず日射は地表面に直達する.ニセアカシア林でも,落葉期の日射透過率は高く,リター層が存在しないため,日射の大半が樹冠を透過し地表土壌面に直達する.したがって,裸地およびニセアカシア林では,春先の気温の上昇と日射による加温により土壌中で凍結していた水分が融解すること,その土壌水分が蒸発によって失われ土壌が乾燥することによって,2月下旬頃から急激に地温が上昇し始めたと考えられる.一方,リョウトウナラ林では,落葉期でも幹ア林の取り扱いは世界的な問題となっている.森林破壊が環境に大きな影響を与えることはよく知られているが,造林も環境に大きな影響を与えることを認識する必要がある.
12.6 まとめ
黄河流域では,急速に造林が推し進められているが,乾燥地〜半乾燥地〜半湿潤地における造林は生態系にとって諸刃の剣となる.すなわち,造林によって黄土の流亡は抑制されるものの,造林された森林からの蒸発量の増大によって土壌が乾燥し,水源からの流量が減少するため(?ら,1994;高ら,2000;李,2001;石ら,2001),黄河の流量がさらに減少することが懸念されている(He et al., 2003; Liu and Ni, 2002).また,現地の水条件に適さない樹種の造林は,砂漠化を進行させる可能性も指摘されている(文,2002).一方,森林面積の増加による蒸発散量の増加は水文循環を変化させ,結果として降水量の増加をもたらすという研究成果も提示されている(王, 2001;?,1999).したがって,中国では森林の存在と水資源涵養に関する論争が続いており(王, 2003),近年森林水文に関する調査研究が各地で推進されている.