地名
焼き畑跡
1林班.津野岳団地ではもっとも古く当演習林全体でも2番目となるスギ人工造林が行われた.地時には火入れを用いスギの苗木を植付けした後にヒエを播いたので名が付いた.
岩谷小屋跡
2林班.津野岳に登る歩道沿いに雨宿りが出来る大きな岩があり,この付近での炭焼きや育林作業の際にこの岩を利用して泊まり込んで作業をしたという.
ジュンタロウ窯跡
3林班.この地にあった炭焼き窯の持ち主の名から取ったとL追う.
岩茸岩
3林班.イワタケは地衣類に分類されるためキノコではないが食用となる.成長が遅く急峻な場所に生育する.岩茸岩は演習林内でイワタケが唯一生える岩であるという.
桜の越
4林班.峠の周辺に山桜が多かったため名が付いた.
大越越
4,5林班界の下端に位置し民有地と接する峠.当地区ではコシは峠を意昧する. 1943年頃にここを通る歩道を改修して車道が作られたが,現在は使われていない.以前はこの地点を境に矢立地区と合戦原地区を区分していた.
樅の木こば
4林班.演習林設林以前から現在に至るまでモミが多く生育する.コパはこの地区の言葉で「畑,または焼き畑」を意昧する.
イデクチ
6林班.イデとは谷から山の水田に水をひく水路を意味し,この付近が水の取り口であった.このイデの途中には水量を調整する堰があった.
めぐり石
6林班.境界の維持管理などのときに境界上にある乙の大きな石を迂回しなければ通れないので名が付いたそうである.
キワダ小屋跡
7林班.キハダの皮を採取するために山師が住んでいた小屋があったという.
亀太郎小屋跡
9林班.萱原山山頂への歩道を少し登ったところに亀太郎という炭焼き山師が小屋を建てたことからこの名が残ったという.歩道沿いに小屋跡が残っている.
大谷
国道388号線から萱原山への歩道の登り口周辺(民有地)から9林班入り口の標高850m付近までを呼んでいた.
馬の背まぶ
9 ,10林班界.城集落や野地集落,三方岳方面からこの尾根(当地区では「まぶ」) を遠望すると馬の背によく似ていることから呼ばれたそうである.
オキテバノデーラ
13林班.デーラは平地を意味する.付近は広い緩傾斜地となっており,大薮集落の先人達が焼き畑を行い,ヒエやアズキを作付けしたところである.その時に植えられたと思われるスギが数本あり, 2008年時点で胸高直径が100cmを超えている.
ツカゲノコシ
14林班内で民有地との境界付近.以前は前述の銀鏡集落や西米良村方面へ狩猟に行く際に狩猟人達の踏み付けた峠越しの歩道があった.峠にはイノシシの牙で切られて死んだ2頭の狩猟犬の名を猟師が刻んだ石が今も置かれている.
焼きスズ跡
14,15林班界尾根の15林班側の斜面に山火事が起こり,スズタケがきれいに焼失したと伝えられている.
黒尾
16林班.樋ノ口林道入口の造林地周辺をいう.
池ノ窪
16林班.冬でも水量が多いため水が留まり,時にイノシシのヌタ場(イノシシの身体に付いたダニなどを落とす泥水たまり)となっている.
銀鏡越
18林班と民有地との境界,シロミダニを登り詰めた峠.主に猟師の行き交う歩道であったとか?
人切り小屋跡
ナガタニ沿いを棋鼻峠に向かう村道大薮渡川線の途中,19林班の概ね中間地点、に屋敷跡と思われる平地がある.明治後期から大正時代にかけてこの周辺の森林が大規模に伐採された際に飯場を構えていたと伝えられている.当時,この飯場での酒の席で大喧嘩がおこり,山師がけんか相手に斧で斬りつけられた.斬られた者は血まみれになりながら,水が欲しい,飲みたいと呻いてナガタニの川縁まで、這っていき,水に頭をつけたまま死んだという.林道が
できる以前は大木が鬱蒼と生い茂り不気味なところで,この方面での仕事には皆足が重かったと先輩職員達が語っていた.
栗の木デーラ
20,21林班界の緩傾斜地.大規模な伐採が行われる以前はこの場所に通直な栗の木が密集していたといわれ,現在も数本の栗の木が見られる.
シャクナン越
21,22林班界にある峠.21,22林班界の比較的低い尾根に位置しており,銅山や広野から山崎越までの途中でトロッコはここで中休みをしたと言われている.トロッコ軌道は馬に引かせるため勾配を急にできないためこの位置に軌道が引かれたと思われる.ツクシシャクナゲが多く自生していることからシャクナゲが転じてシャクナンの地名が付けられたとされている.
ジャダニ越
21,22林班界.大薮からジャダニを経て銅山や広野へ通じていた歩道にある峠.
山崎越
21林班と民有地との境界に位置した峠.明治後期から大正にかけて銅山で採掘された銅や,広野付近で伐られた材を旧南郷村神門方面へ搬出するために,広野から山崎越まではトロッコ道(馬に引かせる軌道)が,山崎越から神門まではカシ類の材で、作ったそりに材木などを乗せて人力で弓|く道幅1.6m程の木馬(きんま)道が通じていた.
水力製材所跡
21林班.大薮川とジャダニとの合流点付近.大規模伐採が行われたとき,ここに集材して,水力による製材が行われたと言われている.
直挿地跡
21林班.地ごしらえで薮(当地区ではヤボと呼称)伐り後に火入れを行い,そばを植えて収穫(当地区では「そば作」と呼称)した後に,スギの挿穂を直接挿したことから呼ばれていた.
山の神
22林班.山の神の神事は, 「山を守る」,「山の安全を祈る」といった意昧で執り行われるとされている.大河内では1,5,9月の16日と決まっており,当演では9月16日以前に毎年神事を行っている.ちなみに山の神は女であると言われている.以前は22林班に小班にあったが,2004年の台風13号による土砂崩れで埋まったため,現在の場所に移された.
銅山跡
22,23林班界付近.明治後半から昭和24年頃まで銅が採掘されたという.林道よりシキノタニの上流側約1kmの地点にあり,製錬所跡と見られる石垣や銅の鉱津が現在も残っている.坑道跡と見られる穴もいくつか点在している.飯場の跡には焼酎瓶,陶器類,貝殻などが散乱していて当時が偲ばれる.
板乾場跡
23,24,25,29林班の大薮川沿い.この範囲の川が蛇行するカーブの内側には小さな平地が数カ所見られる.伐採現場(当地区では山床(やまとこ)と呼称)で木挽きをした板を人力で集めて乾燥させた場所であったという.
モチダ跡
24林班.イヌツゲやヤマグルマなどの樹皮を剥ぎ,その皮をダツという竹で編んだ円筒の器に入れて半年から1年間程浸け置いて腐敗させるための水たまりや池をモチダと呼ぶ. 1944年から1960年頃まで本演でも鳥もちの製造が行われていた.
人焼き場跡
24林班.明治後期から良質木だけを伐る択伐労働者が現在の広野付近を住居地とし,生活を営んでいた.当時疫痢病などがはやり死者が多数でたため死体をまとめて薪で焼いた場所だという.
グウロ越
28林班と民有地との境界.本郷集落と広野を結んで、いた歩道にある峠.本郷から広野への歩道は古来から3本あったが,もっとも遠回りになるため最初に廃棄されたようである.本郷から丸野を経由してこの峠を越し,コウチガタニ沿いを下り, 29林班の板乾場辺りを通って広野へつながっていたという.
槇尾
28,29林班界.演習林設立以前にコウヤマキの群落があったとされている. 1996年の椎葉らによる調査(椎葉ほか,1995)でコウヤマキの古い切り株が多数確認された.
城越
29林班と民有地との境界にある峠.本郷集落から城集落を通り,この峠を越してボウズダニ沿いに広野へ通じる歩道があった. 1970年代後半まで使われていたが,前述の林道が広野まで開通したことに伴い,栂の木の元越歩道とともにその後ほとんど使われなくなった.
栂の木の元越
29,30林班と民有地との境界点.本郷と広野を結んだ歩道にある峠.この歩道は演習林事務所から大河内八幡神社のそばを通り,ここから550mの標高差を一気に登る峠越しの道であった.峠には山の神が杷られ,行き交う度に御神酒やお供え物があげられていた.以前は事務所から広野方面への幹線歩道であり,演習林職員も1980年頃まで業務に利用していた.広野に人が住み栄えていた当時大河内集落民との交流で最も人の往来が多かった道とされてい
る. 1983年に広野付近まで大薮方面からの林道が開設されると,この道はほとんど使われなくなった.
アオキデーラ(青木小屋跡)
30,32林班.アラカワダニ沿にかなり広い平地があり,この付近に青木と言う.伐採山師が住居を構えていた.青木小屋跡とも言う.石積みや陶器類の破片が残っている.
丸十製材所跡
33~37林班周辺.国道388号線が通る鵜野鷲橋付近の平地になっている辺りをいう.演習林30~37林班周辺(アラカワダニ流域以北で地形的にこの場所に搬出可能)から切り出された材を,水力を利用して丸鋸を回転させる方式で製材していた所で,その製材企業名が「丸十」であったことからこの地名が付けられたと伝えられている.
千人塚
33林班,ウノワシダニ付近.広野で亡くなった人を焼き,その骨を千体ほど埋めた場所と言われている.
森田小太郎屋敷跡
36林班.かつてこの周辺に約4haの森林を所有していた森田小太郎という人が居住していた.昭和41年に林地を購入してほしい旨の申し出があり,本学が購入した林地である.
山名
津野岳(◬1607m)
3,4林班の頂点で民有地に接する
馬口岳(1436m)
7林班の頂点で民有地に接する
萱原山(1364m)
9,11林班の頂点
樋口山(◬1434m)
12,13,14林班の頂点で民有地と接する
三方岳(◬1479m)
21,31林班の頂点で民有地と接する
広野山(1272m)
28林班の頂点で民有地と接する
路網
槇鼻峠(1047m)
18林班界と樫葉国有林との境界.ナガタニを登り詰めた峠.古来椎葉村大河内と南郷村を結ぶ生活の幹線歩道であったが,現在は峰越し連絡林道に変わった.
郵便歩道
34林班界と民有地との境界.古来大河内と尾崎を結ぶ幹線歩道にある峠で,椎葉村栂尾にある郵便局から郵便物が行き交ったことからこの峠に通じる歩道は郵便歩道と言われてきた.
大河内峠(1137m)
旧尾崎峠または大河内越え.34林班界と民有地との境界.古来大河内と尾崎を結ぶ幹線歩道にある峠で,椎葉村栂尾にある郵便局から郵便物が行き交ったことからこの峠に通じる歩道は郵便歩道と言われてきた.昭和45年頃に車道が通じ大河内越の名が広く使われるようになった.
河川
サカイダニ(境谷)
1林班の一部と民有地との境界.矢立川の支流.宮崎県椎葉村と熊本県水上村の境界になる谷のため名が付いたという.
イワヤダニ(岩や谷)
2,3林班.矢立川の支流.谷の中に直径,高さとも3m前後の大きな岩が点在していることから名が付いたとの話がある.
オオゴシダニ(大越谷)
4林班.センツキダニの支流.近くに大越越という峠があり,この一帯が大越という地名で呼ばれているために付けられたそうである.
センツキダニ
4林班.矢立川の支流.
ゴヂュウヂダニ(五十字谷)
5林班と7林班との境界.板谷川の支流.
キワダガワ
7林班.ゴヂュウヂダニの支流.以前この近辺にはキハダ(当地域ではキワダと呼ぶ)の木が多くありこの樹皮を採取するために住んだ山師が名付けたという.
スグダニ(直谷)
9林班の一部と民有地との境界.矢立川の支流.急勾配でほとんど蛇行していないため名が付いたという.
イワヤノタニ
12林班.ヒノクチダニの支流.
カラタニ
12林班.ヒノクチダニの支流.この谷は梅雨期に水が流れる程度で,冬にはほとんど水がないことから.
ヒノクチダニ(樋口谷)
12林班の一部と民有地との境界.大薮川の支流.
スノクチダニ(巣の口谷)
13,14,15林班.大薮川の支流.
クミコウダニ
14林班.スノクチダニの支流.
フルゴエノタニ
14林班.スノクチダニの支流.
クエノカワラノタニ
15林班.スノクチダニの支流.クエとは当地区では山地崩壊や,土石流のことをいう.カワラを川原または河原と解し,この谷に大きな崩壊があった後に名付けられたのではとする話がある.
ナガタニ(長谷)
17, 18林班と19林班の境界.大薮川の支流.古来椎葉村大河内と旧南郷村神門(現,美郷町)を結ぶ生活の幹線歩道があり1973年より峰越し連絡林道(大薮渡川線)に改修された.
シロミダニ(銀鏡谷)
18林班.ナガタニの支流.村境を超え旧東米良村(現,西都市)の銀鏡集落へ通じる歩道があったことから.現在は猟師達の行き交う歩道となっている.
ゼンスケダニ(善助谷)
18林班.シロミダニの支流.
シロイシダニ(白石谷)
19林班内,ナガタニの支流.
クラトコダニ(暗床谷)
20林班.ナガタニの支流.大規模な伐採のために人々が入林した当時,谷には木立が鬱蒼と生い茂っていて昼間でも薄暗く不気味であったことから名が付いたといわれている.
ノグルノダニ
20林班.ナガタニの支流.
ジャダニ(蛇谷)
21林班.大薮川の支流.昔大蛇がいたという話もある.
御神の滝
21林班と民有地との境界.落差約30m. 滝の淵沿いに山の神を杷つであったことから.林道開設後に山の神は車道沿いへ移された.
シキノタニ(鋪の谷)
22,23林班界.大薮川の支流. 「鋪」は鉱山の意.上流部には1949年頃まで住友系の銅鉱山があった.
大薮川
22~29林班.本流.
イタバシノタニ(板橋の谷)
23林班.大薮川の支流.大規模な伐採が行われた時代に木挽きによって製材された材を乾燥させるイタホシパ(板乾場)がこの付近にあり,行き交うためにこの谷や大薮川に板の橋がかかっていたと考える人もいる.
イナリノタニ(稲荷の谷)
24,25林班界.大薮川の支流.広野には住居跡と見られる箇所が点在しており,過去には多くの人達が生活を営んで、いたことが伺われる.居住者の中には信心深い者がいて,この谷の付近に稲荷の神を杷っていたと語る人がいる.
コウザキダニ
26林班.大薮川の支流.演習林外の下流に大薮集落の人達がコウザキという狩猟の神を杷っていたことから名が付けられた.今でも猟師が獣を取った際にコウザキ神に毛を供える習慣がある.イノシシであれば背中の毛,シカであれば腹部の毛を用いる.
トウザダニ
26林班.大薮川の支流.
コウチガタニ(高知が谷)
28林班.大薮川の支流.
ボウズダニ(坊主谷)
29林班.大薮川の支流.広野で病気などで死亡した人を焼いた骨を,33林班内のウノワシダニ付近まで運んで埋葬した際これを弔うために僧侶が行き交った歩道がこの谷沿を通っていたことから付けられたという.広野から尾根を越えた別の沢まで運んで埋葬した理由は定かでないが,霊を恐れて少しでも遠くに埋めたのではないかと語りつがれている.
アラカワダニ(荒河谷)
30,31林班と32林班の境界. ーツ瀬川の支流.
ウノワシダニ(鵜野鷲谷)
33林班.ーツ瀬川の支流.
ベントウダニ(弁当谷)
34林班.ーツ瀬川の支流.以前は大河内と上椎葉を結ぶ主要歩道がこの谷を横切るところで,行き交う人々がよく弁当を食べたのではと言われている.
ナミノコウチダニ(浪の高知谷)
35林班.ベントウダニの支流.
モチゴヤダニ(餅小屋谷)
37林班の一部と民有地との境界.ーツ瀬川の支流.鳥もち(当地区では単に「もち」と呼称)の原料となるイヌツゲやヤマグルマなどの樹皮を採取するために泊まり込みの小屋がけをしていたと言われている.
方言
きんま,きうま(木馬)
カシの木で作ったそりに材を積んで運ぶ用具
きんまみち(木馬道)
木馬を引っ張る道、長級1.5m、直径10cm程の丸太を50cm間隔で横に並べその上をひっぱる
こし(越)
山の中腹が一部平地になっているところ
こばずり(木場滑)
山の斜面を地曳きで材を搬出する
さこ(谷,迫)
沢
さんどう(桟道)
断崖絶壁にかけた橋きんま道などによくつかわれた
ししのかじめ
布やぬいぐるみ等を置いてイノシシを追い払う方法 昔は人間の髪の毛を焼いて吊していたらしい
しゅら(修羅)
丸太材を溝状に並べて作りその上を滑らせて材を運ぶ
ずめ(詰め)
尾根がきれているところ
たお(たわ,垰)
稜線または峠
つくり(作り)
焼き畑跡,二次林,里山
でえら(平ら)
概ね平地
ひぞえ(日逸)
山の日の当たらないところ
ひびら,ひあて(日平,日当て)
山のよく日の当たるところ
まぶ
尾根